アートプロジェクトTURNと自身のアートの可能性

ひとりひとりのその人らしさを
認め合うアートへ

―前編―

2020/11/30 公開
TURN監修/アーティスト 日比野克彦さん

TURN監修/アーティスト 日比野克彦さん

言葉の定義に左右されず、幅広い意味を持ったTURN

障がいの有無や世代、性、国籍、住環境などの背景や習慣の”違い”を超えた多様な人々の出会いによる相互作用を、表現として生み出すアートプロジェクトとしてスタートしたTURN。

その監修を務めるのが日比野克彦さん。発足は、TURNという言葉を探し当てたところからだと言います。

「日本語で『生の芸術』と訳されるアール・ブリュットというフランス語があります。ブリュットという言葉は、加工されていないとか混ざりけがないというような意味で、専門的な芸術教育を受けていない人の作品のことを指します。

でも、日本では障がいを持った人の作品という印象が強い。アウトサイダーアートとも呼ばれていますが、どうしてもいろいろな情報に左右されてしまう印象が強くありました。」

ジャン・デュビュッフェが提唱したアール・ブリュットは、第二次大戦後のヨーロッパの前衛芸術思想の動きから生まれたひとつの潮流です。

「言葉の定義というのは難しい。例えば障がい者の施設に、芸術教育を受けた先生が行って指導のようなことをする。するとそこで生まれた作品は果たしてアール・ブリュットといえるのかどうか。そうした、定義が正しいのかどうかという話に左右されない言い方を探して見つけ出したのがTURNという言葉でした。

2014年に日本のアール・ブリュットの専門美術館4館の合同企画展覧会の総合監修を担当した際に、学芸員の方々とともに多くの時間をかけてコンセプトづくりをしました。そして、この名称を発信したわけです」

ひとが、はじめからもっている力

合同企画展TURNには、「陸から海へ(ひとがはじめからもっている力)」というサブタイトルが付けられています。

「合同企画展『TURN』が開催される前に、日本海を80日間かけて小さな港に立ち寄りながら航海する「種は船」というプロジェクトがありました。その時に海からの視点というものを強く感じたんです。陸から見慣れているいつもの風景が、海から見ることで随分違って感じられたんですね。

もともと人類は海からの生命として誕生し、陸に上がることで今があるわけです。それを進化といわれますが、逆に失くしてしまったものもあるのではないか。そんな発想がありました。そこで、TURNには、“陸から海へ”とともに“ひとがはじめからもっている力”というサブタイトルもつけました」

日比野さんのそうした思索は、ご自身の想いとも重なる部分があるのではないでしょうか。

「僕も大学で美術教育を受けたわけですが、技術的な修練や伝統的な技法の継承といったことよりも、自分が思うままにつくりたい作品をつくるということをずっとやってきたし、そうありたいと思ってやってきたわけです」

物質消費による満足感の時代を超えて

「僕がアート活動を始めた80年代というのは、西武やパルコ、伊勢丹などに代表される流通業を中心とした企業が斬新な広告展開などで注目を浴び、それぞれが美術館なども持つ時代でした。
僕自身も1982年のパルコが主催する第3回日本グラフィック展で大賞を受賞しデビューしましたが、当時は感性の時代などとも言われ、若者文化の発信基地としての渋谷という街であったり公園通りなどが象徴的存在として機能していたと思います。
文学や音楽、演劇、美術などのカテゴライズされたジャンルが交じり合って、それぞれを横断するアーティストたちも登場し、次の新たな舞台を感じさせる表現が次々に起こってきた。多様性のはじまりの空気があった時代と言ってもいいのかもしれません」

しかしながら、それは一方で行き過ぎた消費社会の一因ともなったのではないかという面も露呈しました。

社会的な課題をアートが解決できるかもしれない

「80年代は別の意味では物質文明のピークとも言えるかもしれません。その次の90年代に入って、地球温暖化の深刻な問題が大きな注目を集めます。また、阪神淡路大震災などの自然災害に直面して、100年後あるいは1000年後の地球はどうなるのかというスケールで考えることに僕らは直面したわけです」

その後、大きな時代の節目にあたる2000年に開催されたのが「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」です。新潟の棚田を利用したり、限界集落と呼ばれるような過疎の場所、高齢化が進む村などを舞台に“館を持たない美術館”として、その後3年ごとに催されています。また2010年には瀬戸内国際芸術祭が開かれました。

「これらの芸術祭というのは、その地域のなかで、限界集落、高齢化、少子化によってそれまで忘れ去られたような場所だったり、役に立たないとされてきた廃校、機能しなくなった施設や家屋、何気ない自然な風景に、アーティストが新たな価値観を取り入れることによって、そこにしかない力を引き出すことができるのではないだろうかという価値の変換がおこってきた。
人が訪れるようになり、なかにはそのまま移住して生活する人たちも出てきた。社会的な課題に対してアートによる解決ができる部分があるのではないかという糸口が見えてきたと思います」
そうした時代の変遷の中で、2014年に合同企画展TURNが催されたのです。

そのTURNが2020年に対峙することとなった重要な社会的課題が新型コロナウイルスの世界的な感染拡大とそれを防止しなければならないという行動や移動の制約でした。

後編では、その中で日比野さんが感じたTURNとご自身のアートのこれからをお話いただきます。

取材・編集:岡島朗

プロフィール 日比野克彦(ひびの・かつひこ)

アーティスト、東京藝術大学美術学部長・美術学部先端芸術表現科教授。岐阜県美術館館長。日本サッカー協会理事・社会貢献委員会委員長。1958年岐阜県生まれ。1982年日本グラフィック展大賞受賞。1986年シドニービエンナーレ参加。1995年ベネチアビエンナーレ参加。2003年より越後妻有アートトリエンナーレ参加。2010年より瀬戸内国際芸術祭参加。2013~15年六本木アートナイト、アーティスティックディレクター。2015年平成27年度芸術選奨文部科学大臣賞(芸術振興部門)受賞。2014年より、日本財団アール・ブリュット美術館合同企画展2014-2015「TURN / 陸から海へ(ひとがはじめからもっている力)」を監修。2015年度より、東京2020オリンピック・パラリンピックの文化プログラムを先導する東京都のリーディングプロジェクト「TURN」の監修を務める。

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